炭の産地に佇む、資料館のような炭枕の寝具店
炭布団・枕を中心に、地元の炭で、遠赤外線効果や通気性などを活用した寝具を自ら開発、特許取得し、製作販売する店舗。レトロな店内には鉄瓶、ランプ、大福帳など驚くような町の昔の生活用具も展示され、店主の話とともに見学も可。
西幸寝具
軽米町大字軽米8-53-2 0195-46-2601
8:00頃-18:00頃(不定休)
ニシコウシング
取材日 INTERVIEW 2018.12.20(写真は別日撮影あり) ※施設情報、入荷状況や価格は取材時のものです。
昔の生活道具が溢れる、貴重な資料館のようなお店と店主
一見、入りにくいかもしれない。でも、是非入ってほしい。ちょっとお店を見学するためでもいいそうだ。だから、勇気をもって是非。軽米町にある西幸寝具店さんは、名前の通り、寝具店。岩手県北が炭の産地であることを活用して、木炭や竹炭の枕、炭のマットレスを作り、主に販売している。もちろん、一般の寝具や布製品もある。
だが、置いてあるのは、それだけではない。ランプ、鉄瓶、古道具、古いレジ、大福帳等々…。レトロな生活道具が次から次へと出てくる。しかも、それ1つ1つに、店主の西村さんはエピソードを話してくれる。まるで、町の資料館だ。そのせいか、メディアへの露出が多く、地域の中では密かな有名店。
炭寝具で、特許を申請取得したバイタリティ溢れる発明家の寝具店
西村さんは、自身で炭入りの寝具用マットを開発、特許を取得し、さらにその後、マットを改良。季節に合わせて両面を使い分けられるマットを作成し、また特許を取得した。東北地方発明表彰で、発明奨励賞を取ったこともある。特許、と言われると、どこか大きな会社の開発部が…とか、研究所が…とか考えてしまう考えの、軽く上を飛び越えていく経歴だ。
発明したマット。中は、砕いた炭を詰めた筒のようなものが、いくつか入っていて、折り畳みも可能。
商品のアイディアは、入院中に
いったいどんな経緯が…、と思っていると「私も、作りたくて作ったんでなく、私が使うのに作ったの」と笑いながら西村さんに言われて、取材スタッフも吹き出した。「仕事中に屋根から落ちて、背骨を悪くして、6か月病院さ、入院してらの。でも、入院してても、背骨とかは(完全に痛みが)治るもんでなくて。どうにもならないから、寝ながら、いい寝具がないか、考えてたのさ」。西幸寝具さんで炭入りの枕は、もともと作っていたそうだが、そうしているうちに、軽米町の特産である炭で寝具を思いついた。
それを商品化し、昔は、仙台のデパートまで行って、売りに歩いたそうだ。仕事でも、旅行でも全国を歩いた。
西幸寝具さんの目の枕。これも、入院中、昼間なかなか眠れない。朝読んだ新聞なんかをかぶって寝ていたけれど、何かいいものはないかと思って、できたそうだ。
今でも、自分でミシン台に座る。取材を申し込みに来た時も、西村さんはミシン台で仕事中だった。地元の中学生が、職業体験に来たこともある。
炭を砕く機械は、お店の裏手に。
今も炭の生産が盛ん、かつては製鉄業で栄えたころもあった町
軽米町は、炭の産地。かつて、炭の生産量が日本一になったこともあり、現在でも生産は盛んだ。西村さんの親戚も炭焼きをしている。炭にも、いろいろ種類があって…、と話を聞いていると、「軽米は他にも昔は、いろいろ作っていたんだよ」と教えてくださった。店にある鉄瓶は、軽米で作られたもの。かつて、軽米は、砂鉄が取れ、製鉄業で栄えていた時代がある。
さらに、おもむろにストーブの上の鍋の蓋を開けると、昔の銭らしきものが。これも、軽米で作られたもの。軽米の歴史が、すぐ手を伸ばせばそこにあった。「(町の特産の)炭は活かすことができたけど、鉄はできなかったなぁ」と少し心残りのように、西村さんは鉄のあれこれを説明してくれた。
店に残る大福帳。昔は、これを求めてやってきた人もいるんだよ、と。聞いてみれば、一戸町の紬まゆ玉会の赤屋敷タマさんだそうだ。確かにタマさんの作品には、大福帳をよって、紐のように、織った織物がある。店の隅には、蕎麦道具もある。これは、西村さんが年末に蕎麦を打つそうで、中には浄法寺で漆を塗ったこね鉢も。手仕事が繋がっている。
「ほら、始まりがあれば、終わりがあるから」
裏の倉庫へも案内してもらった。行く道筋にも、行燈や鞄やら、昔の道具がたくさん。行李に入った布もまだまだたくさんある。その他にも瓶や器など、昔のものがたくさん残っている。もう、年だからと、壊した倉庫もある。「ほら、始まりがあれば、終わりがあるから」。そこにあまり悲壮感はなくて、やれる限りはやっていくから、と言葉が続く。商品を買ってもらえた時は面白い、楽しい。よかったから、家族に買っていくんだけど、ともう一度、お客さんが来てくれた時は、もっと嬉しい。
「博物館や資料館にないのも、ここにあるんだよ」。確かに。特に収集したわけではなくて、父親の残したものだそうだ。西村さん自身は、青森の生まれだが、代々は軽米の今の土地で商売をしていた。それを引き継いで、ここでやっている。昔は、明るくなれば店あけて、夜までずっとやっていた。「だから、営業時間って本当はないのさ」。明けてから、暮れるまで。
店内中に貼られる、心に残った言葉たち
西幸寝具さんの店内には父親の残した言葉がある。「親切・自身・信用を誇る古いノレンの店」。その他にも、紙に書かれた名言のようなものが、そこら中に貼られている。西村さんが、本やいろんなメディアから抜粋したもの。本などを読むのは好き。
西村さんの話は、わかりやすい。小さい頃は、学校の成績はよくなかったのだそう。「他の同級生に比べれば、年取っても、頭ははっきりしているように思えるから、頭あんまり使わなくて、かえって良かったかもと思ってるのさ」と、それも、笑い飛ばす。それでも時折、「(人生は)楽でねがった」という言葉も話の中で出てくる。
写真も好きだそうで、昔のものから、最近のものまで、いろいろ貼ってある。これにも話は尽きない。歴史的な町の産業から、昔の商店街の行事の話まで。
用事で店を閉めることもあるそうなので、必ず伺いたいときは電話必須。けれど、ふらりと立ち寄るのも面白い。店先に並ぶ布や小物は、あ、いいな、と思うちょっとお洒落なものが並んでいることもある。
随分と長居をして、ありがとうございました、と帰ろうとしていると、最後に、立派な裂き織の布が出てきた。驚き。見れば見るほど、話は尽きない。きっと取材の中でも、本当に一瞬のことを聞かせてもらったに過ぎない、軽米町の話も、炭のことも、西村さんの人生のことも。
取材日 INTERVIEW 2018.12.20(写真は別日撮影あり) ※施設情報、入荷状況や価格は取材時のものです。