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遥か昔から続いてきた、鳥越の竹細工を受け継ぐ作り手

原材料のスズタケを山から採り、手提げかごや弁当箱など様々な作品を製作している、鳥越の作り手の1人。かつて鳥越地区のほとんどの家で作られていた竹細工の様子を、幼い頃から見て手伝っていた。大人になって、改めてやってみたら楽しくて、と先人の竹細工に学びつつ、試行錯誤しながら日々製作されている。
柴田 智
柴田さんの竹細工は、いちのへ手技工芸館のイベントやイコオショッピングセンターの陶苑あきやまなどで販売あり。

​シバタ  トモ

取材日 INTERVIEW 2019.1.9 ※施設情報、入荷状況や価格は取材時のものです

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しなやかで丈夫。全国的に有名な、人気の「鳥越の竹細工」

近年、全国的に注目度の高い「鳥越の竹細工」。一戸町の鳥越地区で主に作られ、山に自生する「スズタケ」という植物を使った伝統工芸品のこと。手提げかごや、ざる、お弁当箱、農作業でも使う“つぼけ”など、様々な種類が作られている。しなやかで、丈夫、使い勝手が良く、素朴で温かみのあるデザインに、惹きつけられる人は多い。

 

その鳥越の竹細工の作り手のおひとり、柴田智さん。

町の竹細工施設で、竹細工を教えるなどのご経験もあり、今は、自宅の工房で作品を制作されている。ご自宅の工房には、智さんが制作された作品と、他の作り手さんによる作品も並んでいる。

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手提げかご、お弁当箱。

手提げかごは、内側と外側の両方を編み上げる「編み合わせ」という高い技術を用いたもの。

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物入かご。

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こちらは、昔の作り手さんが作られたものだという。丁寧編まれた、いくつも重なるカゴは思わず、おお…と声が出てしまう。昔に作られたものは、見ていてもどうやって編んだのかと不思議に思うものもあるそうだ。いろいろ探してみれば、「もっともっと面白いのあると思うよ」

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遥か昔から受け継がれてきた竹細工の技術だが、原料となるスズタケは、数十年に一度、花が咲き、枯れる性質を持つ。その枯れる時期に現在、あたっており、原料の確保が難しい状況にある。

 

智さんも今は、「材料選んでいられない」という。その中でも、何とか作り手の方々が材料を集め、制作を続けていらっしゃる。

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取材日は、智さんとご友人の山田さんに制作しているところを見せていただいた。

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材料のスズタケは、笹の一種だが、細い竹のような外見。山に自生するものを採り、割って、表面や肉の部分を削り、幅を揃える。その道具。
綺麗に揃った材料を作り上げるまでが大変な作業。

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底になる部分の最初の編み作業。底になる部分を編んで、かごの形になるようにスズタケを起こすまでも、難しい。

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隙間なく、しっかりと編み上げていく。1つ、目を間違えれば、そこからやり直し。

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子ども、女性も男性も、鳥越地区では誰もが携わっていた竹細工づくり

智さんも山田さんも、鳥越のご出身。幼い頃、竹細工はどの家でも作られていて、小さい子どもも手伝いをした記憶があるという。「皮むきは、子どもの仕事だっけね。で、ある程度大きくなると、つぼけの底を編むのを教えられたりとか。間違って、怒られてさ」と山田さんも父親の制作を手伝ったそう。

 

鳥越の竹細工の作り手は、今では、女性が多いイメージだが、かつては男性の作り手さんが数多くいらした。農村部でよくある冬場の出稼ぎにでることも少なく、竹細工制作が冬の仕事だった頃も。プラスチック等の大量生産される安価な製品が入ってくるまでは、日常道具や生活用品は自然素材で作られ、竹細工には次から次へと注文が入っていた。地域外には、技術を漏らさなかった時代もあるという。

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かつては、部落ごとに、かご、つぼけ、弁当箱…と異なる種類を作っていた

地区の中でも、さらに部落に分かれ、作る種類も分かれていた。「あそこの部落は行李、そこの部落は弁当とか細かいものが得意だとかってね、あるの。あそこは手提げかご、あっちはつぼけとか」。智さんは、今は一通りの種類を作られている。「これ教えて下さいって言われると、知らないってはあんまり言いたくなくて。だから何でもさ、手だしてね」と笑う。

 

様々な種類を制作しようと思うと、難しいのは、材料作りだという。手提げかごはある程度の固さや厚みが必要だが、弁当箱などは、もっと薄く削る必要がある。

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昔の人はすごいね。いろいろ作って。どこにも腕自慢がいてね。

昔の作り手さんは、作る種類は同じでも、その種類を極め、独自でアレンジをしていったという。「昔の人はすごいね。いろいろ作って。どこにも腕自慢がいてね」。今の80代、90代の人は、昔からずっと竹細工を作っていらっしゃった世代。その世代に比べると、自分たちの世代はまだまだだという。「頭の中に入ってるんだよ。どこをどうすればいいか。“かご”の言葉があるしね。なんていうか、竹細工のかごを作る時に使う独特の言葉があるの」。

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取材中にお茶を頂いていると、ふと、智さんに「鳥越の人は、あんまり、お茶飲まないの」と言われて、首を傾げた。「忙しくて、お茶飲んでたら、竹細工作る時間がなくなる。だから、何時になったらお茶っていう習慣があんまりないの」。今は、その習慣も少しずつ変わってきているかもしれないが、それほどに、竹細工は盛んだった。

最初は、草履2足作るのにも一苦労

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大人になってから、また再び作り始めた竹細工

智さんは、母親が竹細工づくりをしており、親戚が地域を回って竹細工を仕入れ、卸す仕事もしていた。ご自身も小学生の頃はスズタケの皮むき等を手伝っていたが、中学に進むと、竹細工からは離れていたそうだ。それが50代になってから、偶然、町内にある竹細工の体験施設の当番を頼まれることになった。2年程は、当番をするだけで、作ることはなかったが、たまたま作り手の方に、ちょっと作ってみて、と言われてやってみると、手や体は幼い頃に、見て、材料作りを手伝った記憶を覚えていた。それがきっかけで、竹細工を習い始め、作品を制作し、人に教えるようにもなった。

 

ご自宅の横の工房で、「ここさ来て、座ってると落ち着くの」と表情を和らげる。

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今は少なくなったが、遠方のお店などから注文を受けて制作するのに忙しかった時期もあるそう。山田さんも「名指しで注文もらったら面白いよね。有難かったよ。苦しみになることもあるけどさ」と笑って当時を振り返る。智さんも、あまり作ったことのない種類を注文をもらって作ったときもあるという。「作ったことないけど、作ってみようかなと思って。せば、面白いのよね。こっちが教えられる」。

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そうして、今でも制作を続けられている。理由はシンプル。大変だけど、面白いから。「私にはこれしかない。(竹細工作らないで)普通に生活していても、疲れるし、作っていた方がいい」と話す智さんに、「智さんは、天職だね」と山田さんも言う。「何にもできないけど、竹細工は人並みにできる。面白いもん。材料作るときは、大変だけどね」と笑う。

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今後のことをお伺いすると「このまま作れていけばいいな」と智さん。材料のスズタケが厳しい中、山田さんは、「おれたちの時代は終わるかな。いい年ごろだからね。でも作れなくなったら寂しいよね」と話しながら、考えているのはまず今日のこと、明日のことだけ、と笑う。「いじりたくなるもんね。やっぱり好きだよね、面白い」と智さん。

 

 

貴重な鳥越の竹細工。シンプルで、素朴な、毎日の生活で使う道具を是非、現地で探してみては。

取材日 INTERVIEW 2019.1.9 ※施設情報、入荷状況や価格は取材時のものです

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